2019/08/08(木) Stage Art Company

神戸 三宮 バレエ ダンス ダンサー㉚

【Stage Art Company バレエ ダンサー紹介㉚】

みなさん、こんばんは

神戸、三宮にあるダンススクールStage Art Companyです。

今日は74回目のバレエ記事となります。

今回も、世界的に有名なバレエ界の著名人についてご紹介します。

 

 

 

バレエダンサー①:森下 洋子

森下 洋子は日本のダンサーで、名だたるスターダンサーのパートナーとなり、

世界に羽ばたいた日本人ダンサーの先駆け的存在です。

広島に生まれ、3歳からバレエを始め、小学6年生にして単身上京。

橘 秋子に師事し、バレエ団に寄宿しながら通学とレッスンに励むかたわら、雑誌やテレビなどにも出演。

高校を出てから2度の渡米を経て、1971年に松山バレエ団に入団。

74年にヴァルナ国際バレエコンクールで金賞を受賞したのを機に、

パリ・オペラ座バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)など、

世界のさまざまなバレエ団にゲストとして出演するようになります。

76年、ABTのガラで一緒に『海賊』を踊ったのがきっかけで、

ルドルフ・ヌレエフとのパートナーとなり、ガラ公演の巡業で頻繁に踊りました。

78年と79年にはマーゴ・フォンテインのツアーに参加。

81年はベジャールが彼女のために振り付けた『ライト』をジョルジュ・ドンと踊りました。

また、清水哲太郎との公私にわたるパートナーシップは有名で、

清水は多くの作品を森下のために振り付けています。

現在、70歳を目前にしても現役で踊り続け、松山バレエ団の団長を務めています。

 

まだ海外で活躍するダンサーが少なかった時代、

ヴァルナで金賞を受賞し、さらにトップダンサーや名振付家、

バレエ団からの熱い出演オファーが後を絶たず、

日本のバレエ団に所属しながら世界各地で大活躍した大スターです。

自伝『バレリーナの情熱』(大和書房)は、

ジョルジュ・ドンが薦めてくれてベジャールの作品に出演したこと、

ヌレエフとのリハーサルの様子など、彼女が体験した出来事の数々が書かれています。

 

 

バレエダンサー②:モーリス・ベジャール

モーリス・ベジャールはフランス出身のダンサー、振付家、芸術監督です。

20世紀以降のバレエ界に大きな影響を与えた人物です。

哲学者の父のもとに生まれ、7歳のときに母親を亡くします。

この母への想いがベジャール版『くるみ割り人形』の題材となったと言われています。

14歳でダンスのレッスンを始め、

1950~52年にクルベリ・バレエ団とスウェーデン・ロイヤル・バレエ団で踊ります。

54年にエトワール・バレエ団を結成し、

57年にモーリス・ベジャール・パリ・バレエ・シアターになります。

『孤独な男のためのシンフォニー』で振付家としての活動を開始。

59年、ブリュッセルのモネ劇場からの依頼で振り付けた『春の祭典』が大成功を収め、

そこに出演したダンサーを集めて、翌年に20世紀バレエ団を結成。

60年に振り付けた『ボレロ』を始め、

ベートーベン『第9交響曲』(64年)や『ロミオとジュリエット』(66年)、

『バクチ』(68年)、『未来のためのミサ』(83年)など、次々と話題となる作品を発表。

87年に拠点をスイスのローザンヌに移してベジャール・バレエ・ローザンヌに改称し、

『中国の不思議な役人』(92年)など、新作を発表し続けました。

92年、インスピレーションの源であり、

最愛の恋人であったダンサー、ジョルジュ・ドンが死去。

97年に『バレエ・フォー・ライフ』を発表し、

ドンと、彼と同じ年に亡くなったフレディ・マーキュリーに捧げました。

2007年、『80分間世界一周』の振付途中に80歳で死去。

ジル・ロマンが引継ぎ、同年に初演されました。

 

生命を燃やすような祝祭的ムードに満ちた作品から、

心の内にある情熱と官能性を引きずり出すような作品、

生と隣り合わせの死を予感させるような作品などがありますが、

ベジャールの作品には「今ここに生きている自分」に意識が向けさせる力があります。

親日家で知られ、日本文化の造詣の深い振付家でした。

東京バレエ団のために『ザ・カブキ』(86年)や『M』(93年)を振り付けました。

⭐️ジョルジュ・ドンの記事へ

 

 

バレエダンサー③:ユーリー・グリゴローヴィチ

ユーリー・グリゴローヴィチはロシアのダンサー、振付家、芸術監督です。

1946年から、キーロフ・バレエ団(現在のマリインスキー・バレエ団)に入団。

57年にバレエ団のために振り付けた『石の花』が成功し、

この作品はボリショイ・バレエ団でも上演されました。

61年の『愛の伝説』の振付で高い評価を得て、

64年にはボリショイ・バレエ団の芸術監督、主任振付家に就任。

そこから30年以上にわたってボリショイを率いる間に、

68年に代表作の『スパルタクス』を振り付け、大ヒットしました。

ほかにも79年に『ロミオとジュリエット』、82年に『黄金時代』などの新作のほか、

『白鳥の湖』などの古典の改訂も手掛けています。

95年に芸術監督を退任しましたが、2007年にボリショイのバレエ・マスターとして復帰。

現在はボリショイから離れていますが、17年には生誕90周年を記念し、

ボリショイとマリインスキーでそれぞれ名作が上演されました。

妻はボリショイのプリマとして活躍したナタリア・ベスメルトノワです。

 

できるたけマイムを廃し、踊りで感情を表現する振付スタイルで、

だからこそダンサーの体が登場人物の複雑な心情を豊かに踊ります。

展開はスピーディで無駄がなく、踊りの迫力を十分に堪能できる舞台が多いです。

 

 

バレエダンサー④:ルドルフ・ヌレエフ

ルドルフ・ヌレエフは20世紀を代表する天才ダンサーのひとりです。

ソ連のバシキール共和国でダンスを学び、

1855年、17歳のときにワガノワ舞踊学校(現在のワガノワ・バレエ・アカデミー)へ編入し、

卒業後にキーロフ・バレエ団(現在のマリインスキー劇場バレエ団)に入団。

しかし、61年のパリ公演の際に亡命を果たし、

ソ連から亡命した初のダンサーとして大きな話題となりました。

以降は西欧で活躍し、男性舞踏主が主役となる時代を築き上げます。

62年からが、名プリマのマーゴ・フォンテイン(25歳近い年の差)とのパートナーシップで名を馳せ、

ふたりで17年間も踊り続けました。

また英国ロイヤル・バレエ団のゲストとして踊るほか、

ウィーン国立歌劇場バレエ団やオーストラリア・バレエ団など、さまざまな国のカンパニーで踊りました。

83年から89年までは、パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に就任。

シルヴィ・ギエムやマニュエル・ルグリなど、多くの若手ダンサーを起用し、

彼らはのちに「ヌレエフ世代」と呼ばれるようになります。

また、自身の振付(改訂振付)作品『ライモンダ』『眠れる森の美女』

『シンデレラ』『ラ・バヤデール』などを次々と上演し、

さらにロビンズやフォーサイスなどの作品もレパートリーに加えました。

93年、54歳でこの世を去りました。

 

ヌレエフが登場したことで、それまで女性ダンサーばかりが中心だったバレエ界で、

男性ダンサーが脚光を浴びるようになりました。

ヌレエフの場合は「脚光」などという言葉では弱く、

その圧倒的な存在感とカリスマ性で、観客の目と心を奪い去り、

歴史を塗り替えたというほうが正しいのかもしれません。

マーゴ・フォンテインとのパートナーシップが有名ですが、

70年代後半からは森下洋子をパートナーに世界中を巡りました。

⭐️マーゴ・フォンテインの記事へ

 

 

 

柔軟性、しなやかさを身につけるためにも、

Stage Art Companyは会員様にバレエレッスンを推薦しております。

Stage Art Companyではプロのバレエ講師が多数在籍していますので、

是非、バレエレッスンを受けてみてください。

 

 

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